「しみじみ、しじみ。」

さくし あきばたまみ
さっきょく たかさきひろゆき

夕食の片付けしてたら
お味噌汁の中にいた君を
のこしたことに気付いた

あさりならまだわかるけれど     夕食の片付けしてたら
君はちょっとちっこすぎるから    お味噌汁の中にいた君を
”み”を食べるのがめんどうで    のこしたことに気付いた

あんぐりと口をあけたままで     まっくろなカラのその内側で
君は三角コーナーの中        どんな幸せ感じたろうか?
食器を洗う手を止めて思う      食器を洗う手を止めて思う
君にもいのちがあったんだなと    君にも家族がいたんだろうな

なぜ ぼくは人に生まれて      なぜ ぼくは人に生まれて
なぜ 君はしじみになった      なぜ きみはしじみになった
なんだか ああ           なんだか ああ 
しみじみ、しじみ。         しみじみ、しじみ。
君も生きていたんだね        君も生きていたんだね
                     
                  生きることにつかれたぼくは
                  なんて贅沢な生き物だろう
                  君は生きたくて 
                  ただ生きたくて
                  それだけのため 生きてたのに
                     
                  なぜ ぼくは人に生まれて
                  なぜ 君はしじみになった
                  なぜ ぼくはおなかいっぱいで
                  なぜ 君はゴミ箱の中
                  なんだか ああ ゴメンネ
                  君も生きていたんだね
                  君も生きていたんだね

「しみじみ、しじみ。」

 しじみって、そういえば、お味噌汁のだしに使うくらいで、あんまり、中身をほじってまで食べないんだよね。でも、しじみだって、生きていたんだよね。家族もいただろうし、恋人もいたかもしれない。
 私たちがヒトに生まれて、彼らがしじみに生まれたというだけで、その命の重みには何のかわりもない、そう私は思います。この飽食の時代、ひとつひとつのものにきちんと命があって、わたしたちは、その命の犠牲の上に生きていることを、もう一度、あらためて感じる必要があるんじゃないかな。